サンデーランズの事
最近日本のラブ仲間達と交流する機会が多くて
みんながラブについて、とても勉強・研究されていることに
驚き、感嘆したことは以前にも書きました。
私も頑張らないと!!と思っていますが、そう言えば以前・・
もう10年ほど前になりますが、私も英国の有名な犬舎の記事を
勉強していた事を思い出しました。
(普段忘れてたんでは、アカンがな・・)

古い書類を引っ張り出して、その中からサンデーランズの記事を
今日は書いてみたいと思います。

私が10年近く前に、初めてクラフト展に言った年、
奇しくもサンデーランズ犬舎のブロードリー女史が他界され
弔問を兼ねてサンデーランズ犬舎を訪れた後に読んだ記事です。

今回のブログは、この記事を2回にわたって和訳しお届けします。
まずは第一回目・・

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これは、G・ブロードリー婦人の承認をとり、
リチャード・エドワーズ氏によって書かれたものです。

ブロードリー夫人は、65年にわたりラブラドールのブリーディングを
行い、数々のトップクラスの犬達を生み出してきました。
そして、サンデーランズはショーラブラドールの歴史の中で
英国では他に類を見ないほど成功を収めました。
多くの犬が輸出され、世界のラブラドール界で今でも
チャンピオンに輝いています。

サンデーランズの第一歩はJUNOとCH.JERRYの2頭から
始まりました。
1930年代は英国ラブラドール界では特に実りのある時代でした。

その頃、カウンテス・ハウは力の絶頂にあり、彼女の犬達は
ショーリングを左右していました。
戦前には、JERRY、JUNA、JANICEの3頭が
タイトルを獲得し、この三頭の血を引く、いわゆる
J・ブリードはアメリカへも輸出されていました。

 第2次世界大戦が始まり、主なケンネルがその活動を制限され
多くのケンネルがやめてしまいましたが、ブロードリー夫人は
この厳しい時代に於いても着実に土台を固めて行きました。
そして戦争の明暗がはっきりすると、彼女はまたブリーディングを
再開したのでした。
戦後、すでに確固たる基盤を築いていた彼女は、サンデーランズを
英国で最も重要なケンネルにすべく急速に発展させていくのです。
その頃は、またショー用の猟犬のケンネルも持っていました。
そしてその中からは7頭の犬(ガンドッグ)がチャンピオンになっています。

その頃ブロードリー夫人は、ノッティン・トッポト氏とパートナーに
なり、共同で犬を所有していました。
このパートナーシップは終戦前の数年で終わりを告げていますが
この時期の成功は、今日まで受け継がれています。
また戦後、この中から何頭かの犬がアメリカにも輸出されています。
CH.KANDYKO PATRICK(YELLOW MALE)
CH.SANDYLANS HARLEY PRINCESS(BLACK BITCH)などです。

1950年半ば、ブロードリー夫人はカウンテス・ハウの
パートナーになっていますが、ここで面白いことがあります。
何頭かの犬は二人で共同所有にしていたのですが
二人はそれぞれの犬に、別々の名前を付けていたのです。

パートナーのじきは短かったのですが
当時各賞を総なめにした、CHブリティッシュ・ジャスティスの様な
犬を生み出すほどの大成功でした。
この犬は、アメリカに輸出された後、再びサンデーランズに
買い戻されたCH.SANDYKANS BELLE OF HELENSPRINGから生まれた
チャンピオン犬です。

BELLEは素晴らしい血液の証明のようなものでした。
その後、カウンテス・ハウはブロードリー夫人との関係に
しっくり来ないものを感じ始め、彼女自身のブリーディングに対する
方向転換により、パートナーシップは解消されました。
この事により、ブロードリー夫人は犬を飼育する場所が無くなり
この後夫人は、たった数頭の犬だけを連れて
ミッドランドに移住する事になったのです。

つづく・・・

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今日はここまで・・・・

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【2007/05/27 21:25 】
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